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2009.07.05

明治の奈良コボレ話(1)

安達正興のハード@コラムより

明治の奈良コボレ話(1)
〈 2009年 6月 24日 水曜日 )

●幕末奈良の高い文化度
江戸時代の奈良まちは幕府直轄領だったので、現在の知事にあたる奈良奉行は将軍が任命して赴任してくる。そのなかでズバぬけて能吏であったのが川路聖謨である。奈良では異論ナシの伝承である。謨幕末の一時期、六年間を奈良奉行に赴任した川路聖謨が日記に奈良の民度の高さに驚いている様子が書かれている。

『奈良の土地の者は八百屋豆腐屋までも謠つつみ(鼓)というわけ故に、男女老少の別なくみなさる楽(能狂言)をおもしろくおもひ居る也、風俗といふものは不思議なるもの也』(弘化三年十一月)
『門番が茶の湯をするなどつけあがりしたること也。十人よりては四五人はうた(短歌)をよむ也』(嘉永二年七月)

町人ごときが歌を詠み能楽を舞うとは生意気な、こしゃくなり。と、川路聖謨の憮然とした顔がうかぶようだ。明治維新後はしばらく、四年から十年頃にかけては廃物希釈の影響で寺社仏閣が荒れ、大和の政治、社会、奈良町の状況は沈滞した雰囲気に覆われた。奈良に関しては廃藩置県がおちつかず、奈良県が堺県に併合されたり大阪府に併呑されたり、最終的に明治二十年、奈良県が再設置されるまで明治政府が奨励した殖産運動は進まなかった。

●名妓「歌鶴」
廃仏毀釈の項で後述するが「こぼちや」といういまの地上げ屋より乱暴な連中、多くは藩を追われた浪人グループが空き家を壊し、廃寺の古木古瓦を集めて売り捌いた。町中に草ぼうぼうの空き地ができ、灯火が消えた冬の夜ともなれば狐狸が出没するほどに荒れはてたという。だが総体的には町人生活が特に暗い雰囲気であった様子はない。遊郭の灯火が消える事はなかった。

沈滞したといわれるこの最中に奈良まち木辻遊郭「萬玉楼」の名妓「歌鶴」をめざして奈良町の権門(有力者)たちが列をなしたと古書にある。興福寺の僧侶はみな春日の神官に転職願いを出し、還俗するものに一時金五十円が支給された。それをを懐にハレて肉食女犯に出かけたはよいが、置屋に入り浸って使い果たした僧侶がすくなからずいたという。良い悪いは別にして、いつの世にもふしぎに楽観的なまちである。明治初期、奈良まちの人口は約四万五千人、奈良県の人口は四二万人であった。(了)

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